日越華道茶道交流イベントinハノイ
タイトル通り、あるイベントがきっかけで2015年11月末にベトナムでありましたイベントに関して
ちょろっと書いてみようと思います。
ちなみに行ったのは、ベトナム北部のハノイ、6日間。
一応ベトナムのキャピタルシティであります。(まあ経済的にはホーチミンの方が発展してるとかなんとか。)
ベトナムは3度目、ハノイは初めてでした!
以前はホーチミンに2度、それぞれ、3週間、5日と滞在しました。
最初の3週間は、私の大学の海外研修を利用して行きました。なんせ大学1年目はベトナム語専攻でしたから!!!
初東南アジア!!!だったんで戸惑いとカルチャーショックばかりだったのを覚えてます。
バイク多いわ、ぼったくりも多いわで東南アジアの洗礼を受けました。
しかし食に関しては最善の注意を払ったので、お腹は壊さなかったです。(笑)
氷の入ってる飲み物は絶対飲まなかったし(どんな水から作られた氷か分からないですからね)、水は絶対ペットボトルのを飲んで、基本的には火の通ったものを食べてました。(生野菜もグッと堪えてました)
一番大変だったことといえば、道路の横断。
これベトナム行ったことある人にはあるある話だと思う…
ベトナムで通ってた大学の目の前の大通りを渡れるようになるまで3日程かかりました。初日は悲鳴あげながら渡ってましたもん。
そしてベトナム語はとても難しいですね。1年間日本で勉強し、更に3週間ベトナムで徹底的に勉強ましたが、発音がとにかく難しい!!!
アイスクリームだと思って発音していた単語が、それは下ネタだと言われた時に、挫折しました。
(だからベトナム語を諦めました。なんて大きな声で言えることじゃないですけど。)
さて、今回のハノイに話を戻しますと
大学の華道の授業の先生が日越文化交流イベントを開催するとのことで、たまたま友達が声をかけてくれてイベントに同行することに。急遽決まったハノイ行きだったんですよ。
初、ベトナムエアラインで……はい。
ハノイはざっくりと
ホーチミンと比べて若干車が多い気がしました。それでも勿論、バイクが多いですけど。
そしてもう少しばかり、平和で静かかなとも感じました。あくまでホーチミンに比べてですが。(笑)
残念だったのは、ハノイでフォーといえば、フォーガーであったということ。
フォーってご存知ですか?日本でも人気になりつつあるベトナム料理のひとつですよね。
米粉から作られた麺と日本人好みの味のスープに、肉、もやし、青ネギ、コリアンダーなどを好みで入れて、ベトナムのチリソースで辛さも調整できる、あれです。
先ほどのフォーガーはチキンのフォーで、ガーがチキンという意味なんですね。
私の好きなのはフォーボー。ボーは牛なんですよ。
フォーボーが大好きでベトナムに3度も行っていると言っても過言ではないほどです(笑)
ハノイではフォーボーは食べられませんでした…フォーボーの店はあまり見なかったなあ。
イベントの日程の関係で、世界遺産のハロン湾には行けなかったのですが、Ninh Binh(ニンビン)というところに行きました。ハノイから2時間ほどのプロビンス。
ベトナムの昔の首都だったみたいで、その地を囲うようにある山々の形がドラゴンの背中に見えるんですよ~
ドラゴンに守られている、ということから昔の人はそこを重要な都市にしたようです。その説はちょっと素敵だな~と思いました。
観光スポットにもなっているお寺2か所を見ても、やはりベトナムは中国の影響が強いんです。
ベトナム語のいくつかは漢字に直すことができるんですよ^^
ベトナムがどうして面白いかって、中国文化の影響に加えて、植民地時代の名残でフランスの影響もあるから、パンがやたら美味しかったり、ふと見る街並みがヨーロッパ風なところがあったりするところですかね。
さて、ツアーに話を戻すと…
お寺見学の後はベトナム料理をたらふく食べて、1時間半ほどの大自然手漕ぎボートの旅へ…
ベトナム人がボートを漕いでくれました。脚で。(笑)
オール?っていうんですか?あの手漕ぎの棒を器用にも脚を使って漕いでくれました。すごい光景でしたよ。(笑)
最初は感動していた景色にも、1時間半も見ていると見慣れてしまい、最後の方は正直退屈でした。ごめんなさい(笑)
しかも折り返し地点で2~10倍の価格でぼったくろうとしてくる、お菓子やらお土産販売のボートが近づいてくるわ
ボートの降り際で、漕いでくれてたおばさんがチップよこせとナチュラルに要求してくるわで
私たち半ギレで最後の方は何も覚えてません。
そんなことがあっても私が愛してやまない国、ベトナムです。(笑)
今回のメインであったイベントはというと
日本の華道とベトナムの竹をつかった伝統工芸の籠のコラボレーションと
ベトナム人の茶道体験、それぞれの国の伝統衣装を披露しました。
ひょんなことから、私はあと何度着られるか分からない振袖を着させていただきました!
ベトナムの伝統衣装であるアオザイを着たのは、まさかのプロモデル集団(もはや笑うしかなかったです)
初開催のイベントだったので、課題の多く残るものとなってしまいましたが(たぶん)
個人的には海外で着物、しかも振袖を着て文化交流活動に取り組むといった点ではは良い経験でした。純粋に楽しかった!
イラッとすることが多々あるベトナムですが、その自由さがまた魅力というか。
次回こそバイクの練習を頑張りたいです。(笑)
2016年2月末あたりにホーチミンに行きたいなあと思って航空券調べましたが(韓国ーベトナム間はLCCが就航しているんですよ。VietJetというエアライン)
考えてた以上の値段だったので…泣く泣く諦めモードです。
ドンもわざわざ持ってきたのに~~~
唯.
オリンピック
スポーツは本当に素晴らしい!!!
たくさんの感動をありがとうございました!!!
リオオリンピックが閉幕。
未だ、争いに血や涙を流している地域や人もある。
それでも、私たち人間は同じ感動やゴールを求めて協力し、同じ汗と涙を流すことができる。
オリンピックのダイジェスト番組を見てそう感じました。
どの競技のどの選手のどの試合にも、ドラマがあって…単なるスポーツの試合以上に、人間の持つことのできる力の強さ(メンタルもフィジカルも)とか、そういった部分にも感動しました。
それはスポーツに限らず!
私も日々の生活で誰かに、感動を与えられるようになりたいものです!
私の職業柄、感動の他にも届けなければならないものがあるけれども。
日本選手団の41個のメダル、オリンピックまでの過程、どれも格好良すぎました!!!
閉幕式の安倍総理大臣も、私的に今までで最高にクールでした!!!
日本人に生まれて良かった!!!
そしてオリンピックを通して見えた“世界は繋がっている”、この感じ…堪りません!
東京オリンピック、何か携わることが出来たら嬉しいですね!!!^^
GO FOR TOKYO 2020!!!
唯.
終戦の日に。
71年前の8月15日、日本は終戦を迎えたんですね。本当は終戦の日に投稿するべきだったのですが…お許しください。
集団的自衛権やら解釈改憲などと騒がれている昨今。
加えて、様々で多くの情報やアイディアをどこでも、いつでも、取得し共有することの出来る時代です。そんな怒濤の時代に生き、"アジア学”を専攻している者のひとりとして、私の考えを書き記しておこうと思います。
最初に、私たち日本人は戦争の被害者である以前に、加害者でもあります。状況は違えど、全ての戦争参加国は被害者であると同時に加害者であると私は考えます。しかし、現在の日本では“被害者意識"が強いように感じられます。
広島、長崎に原爆が投下され、日本は世界で唯一の原子爆弾による被爆国であることは確かです。8月になると、広島、長崎に原爆が落とされた日、そして終戦記念日と少し戦争について考えさせられる数日間が続きます。この時期には戦争に関するテレビ番組やドラマ、映画などが放送され、戦争でのかつての日本人の“苦しみ”や“悲しみ”を目にすることがあります。
戦争は苦しく、悲しいものです。それは間違いありません。
苦しくて悲しいから、戦争はいけません。それも間違いありません。
しかし、私たちが同じ過ちを繰り返さないために、知っておくべきことは、私たち日本人の"苦しみ" "悲しみ"、それだけでしょうか。
なぜ、いつ、どうやって、どのような…過ちを我々の先人たちが犯してしまったのかという具体的な事実、そして、その過ちが如何に他の国や地域の人を苦しめ、悲しませ、傷付けてしまったのか…他者の痛みから反省することが、現在の私たち日本人に不足している部分ではないかと考えます。
日本と類似した歴史を持つドイツですが、戦後は日本と異なる戦争歴史認識、教育の下、歩んできました。小、中、高と私の好きな教科のひとつであった日本の歴史の授業では、近代までを中心に、太平洋戦争などに関する記述は僅か数行にしか及ばなかったと記憶しています。
日本の歴史教育は、"日本の過去を知る"という単純なことに重きを置いているように感じます。
一方でドイツの学校では、現代史が広範囲に渡り、12年程続いたナチスの時代に関して60時間をかけて学習するようです。戦後から現在まで、どの様にして歩んできたかという点がドイツの歴史教育では重要視されています。
日本は戦後20年で東京オリンピックを開催したものの、その20年間が歴史の授業においてハイライトされることはありません。その間の多くの事柄が、現在の日本の原点を形成し、また、今の日本と他国間の関係の基礎を構築したのではないでしょうか。そこには勿論、戦後から日本を立て直した先人たちの努力も隠れているはずです。
本題に戻ると、私たち日本人は自らの苦しみや悲しみばかりから戦争の悲惨さを理解しようとしています。しかし、苦しんだのも悲しんだのも日本人だけでなく、日本によって苦しめられ、悲しんだ人々がいるという事実を忘れてはなりません。
私たちは、相手の気持ちを汲み取ることに長けている民族のひとつでもあります。
相手の痛みから、反省し、二度と繰り返してはならない。私たち日本人はそんな風に戦争や歴史を認識することも必要です。歴史から何を学び、過ちを繰り返さないようにするか、ということが非常に重要である。
…終戦から71年の今日、私は考えます。
追記 :
祖母から聞いた戦時中の話。祖母は祖母の父(つまり私の曽祖父)から聞いた話。
祖母が幼い頃、曽祖父が出兵した。
“泣いてはいけない”
祖母は涙を堪えて、国旗を振り、万歳!と叫びながら、曽祖父を見送ったという。
曽祖父は無事に帰ってきたが、曽祖父の見た戦地は惨いものだった。ある日、曽祖父はこんな光景を目にしたという。"支那"の子供たちが日本軍によって穴を掘らさせられ、その穴に自分たちの両親を突き落とさせられ、土を被せ生き埋めにし、その土を足で踏ませられていた。幼い子供に両親を殺させ、埋めた土を上から踏む…曽祖父はそんな残忍なことを目にし、本当に辛かったという。
祖母も曽祖父から色んな戦地の話を聞いたが、これが一番衝撃的だった為によく覚えているという。
私もこれを聞いて、本当に言葉が出なかった。こんなことは人間に出来ることなのか、戦争が人間をこうさせるのか…
この記事が一瞬でもいいので、もう一度、戦争がどうして悲惨なのか、なぜ起こってはならないのかを考えるきっかけになって欲しいです。
唯.